音楽を”手段”にしてはいけない!

こんな時代だからこそ、音楽がただの手段になってはいけないと思う。

音楽家にとって、音楽を愛するものにとって、音楽をすること、音楽に触れることそれ自体が、生きる目的なんです。

これは、誰に否定されようが、絶対そうです。

もちろんプロの音楽家にとって、音楽はを営むための手段にもなるし、歴史を見ていくと、音楽は人々を扇動するための道具にもなることがありました。それは、それだけの力があるから。

だけど、これからの時代、手段でしかない音楽は絶対に残らない。

音楽を、これ以上コンテンツ化してはいけない。

音楽それ自体が、本来生きる目的であるんだということを今もう一度、思い出さないと!

そう強く思っています。

普段僕が言ってることと、真逆を言ってるかもしれない。多くの音楽業界の生き残り方を考えてる方を否定するような言い分かもしれません。

僕は、もちろん今まで、どうやったら音楽がコンテンツとして売れるのか、考え続けてきました。それが表に出過ぎて、「音楽を売りたい人」のように見えていたかもしれません。

でも、これだけは強く言いたい。

「我々は売るために音楽をやってるわけではない。」

僕が本当に尊敬する、心から音楽家だなと思う仲間は、今この状況をすごく満喫している。

「普段できない曲に取り組めたり、普段できない練習ができて、とても楽しい!」

なんて言っている。

そんな姿を見て、焦っている自分が恥ずかしくなり、彼らの心は強いと改めて尊敬の念が生まれました。

朝から晩まで一日中、ステイホームでも、楽器さえあれば心から幸せでいられるのが、音楽家という生き物なんです。音楽は、何時間でも永遠としてられますからね!!

僕にも本来そういう素質があったはず。毎日12時間ピアノ弾いたりトロンボーン練習したり、楽譜を読んだりしていた頃もありましたから。その頃は取り組むこと自体が目的で、幸せだったはず。

僕にとっても、良い音楽をすること自体が、一つの目的であることは間違いない。仲間とともに、客席とともに、良い響きを、良い時間を過ごす。それだけでとても幸せなことなのです。

そこに、売れるかどうかなんてことは、もともと関係ない。これが、おそらく音楽家のホンネです。
(そして、これがビジネスマンといつまでも相入れない感覚なのです。それじゃ趣味と一緒じゃん、と言われ、ちがうんだ!と喧嘩になります。笑)

た、だ、し!!

人間が生きていくためには、その社会のルールに則って生きなければなりません。

全人類が、音楽に最上の価値を見出していれば、音楽家は誰からも一番に尊敬され、より世界を魅了する音楽家はそれだけで生きる権利が保障されるでしょうが、残念ながらそうではなく、この資本主義経済においては、多様な価値観を持つ人が生きていて、共通価値である必要最低限の経済力を身につけなければ、生活させてもらえません。

それがなければ、音楽家にとって本来生きる目的であったはずの、音楽をすることさえ、ままならなくなる。

だから、

音楽家なら「生涯、音楽をするために」経済力を身につけよう!

というのが、昔からの僕の主張です。
そうでなければ生きる目的すらもてなくなるからです。

プロとして”音楽で”稼げるようになろう!なんてことではないのです。

音楽家こそ、音楽を生きる手段ととらえてはいけない。そうなると、余裕がなくなります。
心の余裕がないところに芸術はなかなか生まれないと思います。例外はもちろんありますが。。

経済力を身につけるというのは、ビジネスをするということ。ビジネスをするということは、世の中の役に立つということ。

音楽以外の能力で、世の中の役に立てる人は、それをどんどんやれば良いと思う。

自分は音楽しかできない、というのであれば、音楽を操る能力のどこかの部分を使って、世の中の役に立つことを始めればいい。

大きなビジネスをしなくたって良いかもしれない。

共通の価値観を持った音楽家で、同居して、田んぼと畑を耕して、音楽とともに自給自足の生活をするのだって一つの方法です。

今忘れてはいけないのは、音楽が100%生きるための手段、売るためのコンテンツになっては本末転倒だということ。

そうではなく、

“自分の生きる目的である、音楽活動を止めないために、何ができるのか。”

という発想で考えると、この危機を乗り越える答えが、それぞれ出てくるのではないかなと思っています。

といいつつ、僕もまだ具体的な答えが全部揃ったわけではないのですが。。

これから、頭を整理してできることを始めていきたいと思います。