社会の”器”になるということ

“芸術を人生の軸として生きるとは,独創的な表現の〈主体〉になることではなくて,社会の〈器〉になることだということを心に留めておいてほしい”

京都芸大総長の鷲田清一さんの、今年の卒業式のはなむけの言葉の中の一部に、すごく共感したので、紹介します。

鷲田清一さんと言えば、基本的に面白いことなんてない学校の国語の教科書の中で、一際異彩を放ち、高校時代に興味を持って読んでいた作家さんですが、こんな人がリーダーである京都芸大、ちょっと羨ましい!

全文は、リンクから是非読んでみてください。

芸術を志す人ならなら、もう読むべき。損はないと思います。

ただ、芸術大学の卒業生が、この言葉の本質をどれだけ理解できるのかは、僕にはわかりません。

というか、わからなくて当然。
僕も、きっと22歳の時には、分かったつもりにはなれても、理解できなかった。

今になって、”社会の器になる”ということの重要性、もとい使命感を、ひしひしと感じています。

芸術家たるもの、”受け入れる器”がなければ、表現なんてものは伝わらない。

世の中に蠢く想いの丈を掬い取れるキャパシティがなければ、”美”という価値をクリエイトするというところまでいけないんです。先に器!

さすが、聡明な鷲田清一先生、上手いこと言うなぁ〜。尊敬です。

全文はこちらから。

京都芸大は卒業式のカオス具合でも有名ですよね笑

http://www.kcua.ac.jp/information/?mp=97217