◎演奏は人柄そのもの!

色々な方の演奏を聴いてきて、
最近思うのは、

潔く、躊躇なく、自信を持って
“自分”を出せる方の演奏は、技術的なものに関わらず、面白いなと思えます。

何かもっと低い次元で、不安を抱えていたり、思っていることが表出できないようなことがあったり、自分の表現に自信が持てなかったりすると、どれだけテクニック的に整っていても、力の弱い音楽になるような気がします。

芸術なんて、自己満足を極めること。

自信がなければ、他人は感動しませんよね。

明日のコンサートは、全部のリハーサルは聴けませんでしたが、おそらく、

“個のぶつかり合い”的な、室内楽の醍醐味を楽しめるレベルの演奏を、楽しめるのではないかなと、期待しています!

リハーサルの後、ご挨拶と今後の打ち合わせを少しさせていただいて来ました。

その後今回のゲストコンマスのダニエル・ルービンスタインさんと、ゲストプリンシパルのソフィさん、指揮者と、常任コンマスの4人で記念撮影(^^)

音色も人柄も素晴らしいお二人と、共演できるのが楽しみです(^^)

4/4日、まだまだお待ちしています(^^)


社会の”器”になるということ

“芸術を人生の軸として生きるとは,独創的な表現の〈主体〉になることではなくて,社会の〈器〉になることだということを心に留めておいてほしい”

京都芸大総長の鷲田清一さんの、今年の卒業式のはなむけの言葉の中の一部に、すごく共感したので、紹介します。

鷲田清一さんと言えば、基本的に面白いことなんてない学校の国語の教科書の中で、一際異彩を放ち、高校時代に興味を持って読んでいた作家さんですが、こんな人がリーダーである京都芸大、ちょっと羨ましい!

全文は、リンクから是非読んでみてください。

芸術を志す人ならなら、もう読むべき。損はないと思います。

ただ、芸術大学の卒業生が、この言葉の本質をどれだけ理解できるのかは、僕にはわかりません。

というか、わからなくて当然。
僕も、きっと22歳の時には、分かったつもりにはなれても、理解できなかった。

今になって、”社会の器になる”ということの重要性、もとい使命感を、ひしひしと感じています。

芸術家たるもの、”受け入れる器”がなければ、表現なんてものは伝わらない。

世の中に蠢く想いの丈を掬い取れるキャパシティがなければ、”美”という価値をクリエイトするというところまでいけないんです。先に器!

さすが、聡明な鷲田清一先生、上手いこと言うなぁ〜。尊敬です。

全文はこちらから。

京都芸大は卒業式のカオス具合でも有名ですよね笑

http://www.kcua.ac.jp/information/?mp=97217


あえて好きなことをやる人生

新日フィルの古部さんがシェアしていた内田さんのブログを読みました。とても共感する部分があったので紹介します。

“日本の学生に際立って欠けているのは、一言で言えば、自分と価値観も行動規範も違う「他者」と対面した時に、敬意と好奇心をもって接し、困難なコミュニケーションを立ち上げる意欲と能力だということです。”

“ですから、僕からみなさんにお勧めすることはとりあえず一つだけです。それは「学びたいことを学ぶ。身につけたい技術を身につける」ということです。「やりたくはないけれど、やると食えそうだから」といった小賢しい算盤を弾かない。「やりたいこと」だけにフォーカスする。それは自分がしたいことをしている時に人間のパフォーマンスは最も高まるからです。生きる知恵と力を最大化しておかないと生き延びることが難しい時代にみなさんは踏み込むのです。”(ブログより引用)

ふと読んだ内田さんのブログ。

最後のアドバイスは全面的に賛成です!!!

日本の学生の能力がどうのこうのという話は、結局、日本が恵まれすぎてるから頑張らないというのもある気がする。

今、頑張らなくても全てが何とかなってしまってる、というのが、人生にとって損。
せっかく一度きりの人生、とびきり難しいことに挑戦しないと、面白くならないじゃないの。

僕は、色んな先輩経営者の方から、もっと利益率のいいビジネスをやったら絶対とっくに大成功してるのにとか言われたりしてきましたが、

それでも僕は、
あえて指揮台に立ち続け、

おそらく”世界一コスパの悪いプロフェッショナル集団”であろう「オーケストラ」を引っ張りながら、

一番好きなことだけをやって生計を立てるという、人生最難関コースを突っ走ってやろうと思っています。笑

内田さんのブログは以下のリンクです!

http://lite.blogos.com/article/285630/?axis&p=1